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沈香エレジー  (セティ×リーン)


 沈香が、漂っていた。煙を伴う香りに巻かれるようにして、司祭はひんやりとした視線を下す。
 慣れた手つきで細い金の棒で何かを描く。描いたのは文字か、絵か、判断できるものしかこの場にはなかった。司祭の描いたものは文字、祝福や誕生を意味する、始まりの文字であった。華々しい文字であるのに、司祭の顔は少しも浮かれていない。職務だ責務だといえば説明も付こうが、それだけではない、冷え冷えとした冴えがある。
 あれこそまさに、神が光臨せしめたお姿だ。誰かが囁く。ありえる、いいや、そうに違いないと、誰かが呟く。すぐに司祭の姿が神そのものだという話は場を満たした。司祭は聞こえているのか、聞こえていないのか、無機質に金の棒を振るい、金の器に印を付けていく。
 司祭は青年である。年若い。この場にいる、肩書きのない少年達を除けば、彼は一番の若輩者である。それにもかかわらず彼が祭壇に立ち、礼拝を取り仕切るのは、彼に身分があるからだ。神の一族、いや、一門か。その生まれの違いである。青年は、神の血を受けている。幼い顔立ちに、ほっそりとした身体、儀式中であるためか生気のない目。彼はこういうとき、さらにその異質性を際立たせる。
 いくつかの文言を唱え、指を組み合わせ、礼拝する。金の棒は静かに台座に置かれ、司祭はゆっくりと振り向いた。

「以上です」

 加護がありますようにとは、言わない。変わらぬ表情で、それだけを言う。
 列席していた僧侶達は慌てて立ち上がる。司祭はやはり、冷えた目で彼らを見ていた。
 司祭は祭壇から降りる。長い裾のすれる音だけが聞こえる。司祭は大股で中央を歩き、聖堂から出る。幾人もの侍者が彼を追う。青年司祭に追いつくは容易いが、彼の思惑を察することはできない。ただ黙って彼に付き従う。
 自室に近くなった頃、司祭は止まった。唐突に止まった。侍者たちは不思議に思うよりも、どきりと心臓をつかまれる思いだった。今の司祭は、恐ろしいひとなのだ。神なのだから。平素の素朴で聡い穏やかな青年ではないのだから。

「退がってください」

 振り向きもせず、司祭は言った。侍者たちはごくりと生唾を呑み、その後で顔を見合わせ、離れてゆく。深々と頭を下げた後、静かな音が立つ。彼らが去る音だった。音が消え失せるまで、司祭は動かない。静寂が冷たさに変わる頃、司祭は自室の扉の取っ手に手をかけた。ぐっと力を入れる前に、司祭は頬を拭った。袖から沈香の香りがした。
 扉をそうっと開ける。

(寝ている……?)

 司祭は、ただの青年の顔になる。神がかりではない、ただの子供が、覗いて笑った。
 自室に入り込む。そして、正面の執務机に寝るひとに近づく。部屋から出る前は、きちんと椅子に座って背を伸ばして聖書を読んでいたのに、どうしたことだろうか。集中力はある人なのに。青年は机に寝そべるひとに近づく。

(……泣いていたのだ)

 聖書に滴が残っている。それがより一層哀れであり、心苦しかった。自分が羽織っている上着を、そっと肩にかけてやる。

(あのとき、あやふやなままでいなければ。躊躇していれば。そうすれば傷つけなかった。
 後悔しているのに、どうして自分は決めたんだろう。止めればいいのに。誰も叱らないし、非難もしないだろうに。なのにどうして、ぼくは受け入れたんだろうか)

 青年は見つめながら、姉を見つめながら、後悔している。
 離縁された姉を再び嫁がせようとしているのだ。しかも、離縁から一月も経たずに、よそへ手渡そうとしている。どこにもいかないで欲しいと思っていながら、傷ついた姉を労っていながら、それでも決定したことだった。
 彼が思うように、申し出を断ったところで波風が立つわけではない。むしろ、当然のことのように受け止められるだろう。誰も責めないし、誰も傷つかない。

(また、ぼくの目の前には霧が広がっている。同じだ。さきが視えない)

 同じ不安を抱えたのに、決めてしまった。

(誰を恨めばいいんだろう。何を恨めばいいんだろう。悔やむばかりの人生なんて、真っ平なのに)

 ごめんなさいと姉に言ったところで、このひとはきっと、いいのよと笑うだろう。
 だからより一層、悔やむのだ。
 姉に、嫁いでくださいと言うことが怖い。このまま、眠り続けてくれたら、と馬鹿な考えが脳裏をよぎる。



 予想通り、いいわよ、と言った。

「貰ってくださるなんて、なんて物好きな方」
「来てくださる方も、物好きだと思いますよ」

 離縁された女に、死別された男が、縁を求めた。悪くない話だ。
 男は王であったし、女は貴族であるから、釣り合いも取れる。共に、連れ合いをなくしたことまで同じなのだから、申し分なぞ全くない。割れ鍋に綴じ蓋と言うものもいようが。
 男にとっては最後の手段のはずだ。国内を治めるために国の娘を娶れば国が荒れたのだ、治め直そうとするのならば他国から縁を求めなくてはならない。下手を打てば、今度こそ国は割れる。賭けに出たのである。女はそれを知って、賭けに乗った。いいわよ、と。

「お優しい方。ちっとも変わらない」
「それしか取り得がないもので」
「それにとっても真面目で」
「それは性分です」

 思い出話の延長しか、今の二人にはできない。
 それが苦しくて、女は止めましょう、と男に言った。そして、喪が明けましたら参ります、と静かに言う。男はやはり静かに頷き、ありがとうございます、と返した。お迎えに上がりますと。
 事務的に言ったのは、事務的に返したのは、どういう顔をすればいいのかわからないからだった。年を重ねた分、昔より嘘をつくことが多くなった。仮面の数が増えた。素顔になることが怖くなっていた。
 それだから余計に、相手の考えていることが察しやすかった。思い遣れた。

「一年後までには、整理します。ですから、一年後、お会いしましょう」
「はい」

 それまで会わないほうがいいと、なんとなく感じていた。

「お手紙、差し上げますね」
「待っています」
「字が、上手くないのですが」
「あなたの字は、とても丁寧で気持ちがいいですよ」

 そういえば昔、書簡に小さな文字で挨拶を書き入れたっけ、と思い出す。
 優しげなほほえみを浮かべながら、男は去っていく。女は見送る。背が消えてしまうまで、じっと見つめていた。
 一年後、と女は繰り返す。

「大変だわ」

 ため息は出なかった。

「一年で、わたし、変われるかしら」

 同じ方向を見ながら、目を細めた。



 片付けることと、棄てることとは違うでしょう、と教えてもらったことを覚えている。あのひとはどこまでも優しい人だった。

(抱えきれない気持ちを片付けることと、棄てることは、違います。棄ててしまうことは、気持ちを丸ごと放り投げてしまうのですから。片付けるというのは、しっかりそれを考えて、吟味して、仕舞いこむ。……当たり前すぎましたか?)

 いいえと応えた。

(どちらも難しい作業です。だから、後悔のないように選ばなくては。
 自分は――選ぶのならば、片付ける方を選びます。そっと思い出すことができるから……)

 優しい人。
 あのとき、自分は棄てることを選んだ。まるきり、全部を棄ててしまう方を選んだ。思い出を残すことすら拒否した。
 でも、本当に難しいことだった。棄てたと思っていたのに、いつまでも、いつまでも、燻っていた火種。どうにか始末してしまいたいのに、熱くて触れられない。忘れてしまったと思っていたのは、ただの思い込みで、いつまでも、いつまでも、思い出としてたくさんのことが残った。
 片付ければよかった、と思ったときに、ひとは簡単に変われないとも、思った。
 一年。その月日で、自分はどれだけ変われるだろう。変われなければ、残りの人生を後悔のみで生きていくことになるだろう。

「あ、…」

 風が通り過ぎ、独特のあの香りが漂った。
 ふと目を細める。

「沈香……」

 死と鎮魂と、導きの香りがした。








■ダブルクラウン・リーン

妄想の極地。
聖戦で離婚再婚とか考えているあたり、なんかもう、駄目だなっていう。

アレスと離婚後、セティと結婚、は考えられても逆はまだ考えられません。
妄想の修行が必要です。

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