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あたしは棄てられたのかしら、とフィーは言いたくもありませんでしたし、認めたくもありませんでした。北国で雪に護られながら、ずっとずっと考えていたことでしたが、絶対にそれだけは認めてやるものかを歯を食いしばっていました。
父は、どこかへ消えてもう数年。兄が探すといって続けて消えて、数年。
床に伏せることがめっきり多くなった母と二人きりで、早数年。母の病は一向に回復の兆しを見せず、どんな薬も効くことがありませんでした。気からきているものもあるのでしょうが、と医者は言います。フィーは母は心配が過ぎる人でと医者に伝えました。心当たりが多すぎて、母の心配をのけてやれるのか、フィー自身にもわかりません。ただ毎日の細々としたことを母に代わって勤める、そんなことしか幼いフィーにはできません。
兄には、おまえは母上についていなさい、ときつく言われています。言われなくとも、フィーは病床の母を放って自分も父と兄を捜しにいくだなんてことはできません。そして外に出て、何をすればいいのかも分からないのです。
「母様(かあさま)、ごめんね。あたし、もうちょっとしっかりするから」
「なにをいうの」
「せめて、あたしが男だったら安心できたのにね」
「フィーが女の子じゃなきゃ、お母様は厭だわ」
「でも、あたし、何にもできない。できてない」
「たくさん、やってくれているわ。お母様は知っているのよ」
優しい母は、フィーをいつでもどんなときでも肯定して、フィーを許します。そして、父をちっとも責めず、父と兄を身体の芯から心配しているのです。
兄はともかく、父様(とうさま)は、とフィーは苦々しく思います。彼についてフィーが覚えていることは、あまり多くはありません。面影が瞼に焼き付いている、それだけです。兄のように父から何かを受け取ったということもなければ、強く愛されていたという記憶もありません。元々、家に居ない方が多い人だったのです。印象も薄いはずです。
ですが、父は父なのです。どんなに嫌がっても、どんなに拒否しても、父は父なのです。レヴィンはフィーの父なのです。憎むには辛すぎるのです。
「フィー、あのね」
母は優しくフィーの頬を撫でます。この頃、めっきり骨ばってきてしまった手の感触が、とても辛く感じられます。
「いつも、誰もが、自分の信じることをしようとしている。それはわかって頂戴」
「…父様のこと? 兄様(にいさま)のこと?」
「ひとはね、信じることにすべてをかけられるのよ――自分のためでなくとも生きられる尊い存在なのよ」
母は最近、こんなことを言うようになっていました。フィーはそれが動かしがたい死のにおいの存在があると、思わずにはいられないのでした。
うっすらとほほえみ、母はフィーの頬から手を離しました。
「だから、あなたもあきらめては駄目。望むことをなさい」
約束して、と母は言います。
「お母様が死んだその時は、あなたがしたいことをしなさい」
「お母様! そんなこと」
「いいえ、これは言わなくてはいけないの。しっかり話しておかなくっては、死ぬことだってできない」
フィーは、それじゃあ、話せば死んでしまうってことじゃないの、と叫びたくなりました。母に死なれるなんて考えたくもありません。滅相もないことを言わないで、そんなこと言わないでと、母にすがりつきたくなりました。
しかし母は、柔らかな視線をして言うのです。
「戸棚を見て御覧なさい。一番上の戸棚よ。取っていらっしゃい」
フィーは母に従い、ゆっくりと行動を取り始めました。
一番近くにある戸棚を指差し、これなの、と聞くと母はそうよと頷きます。この戸棚は、母のものでした。母の着替え、母の宝物、父のもの、フィーが触れることのなかったものが詰まっていました。幼いフィーは一旦部屋を出て、踏み台を持ってきました。それにのぼり、一番上の引き出しを開けます。
「お母様の書付です。持っていらっしゃい」
引き出しの中には、厚い日記帳のようなものが入っていました。それだけしか入っていません。
フィーはそれを持ち、踏み台から下り、母の側に寄りました。母はベッドにお座りなさいな、とフィーを促しました。それに素直にフィーは従います。
「ここに、お母様が知ることを書き付けました。お母様が死んだのなら、頼りに出来る人の名前も」
母はフィーの目の前で本を開きました。書付は母らしい、几帳面な字と構成でつくられていたものです。日記に見えないこともありませんが、中身をよくよく読めばそれが淡々とした報告書のようでした。
「覚えておきなさい。これからあなたが出会うかもしれない人の名前だから」
そうして母はフィーに伝えたいことを伝え、間もなく、雪が解ける前に、安らかに逝ったのでした。
だからあなたのことは、多少なりとも知っています、とフィーは言いました。
「フュリー殿らしいことです」
「はい。母様らしいことでした」
フィーが頷くと、騎士は目を細めました。
「フュリー殿に感謝しよう。こうして我らが出会えたことは大変な幸福だ」
「来てくれて、本当にありがとう、フィー」
「セリス様、あたしは未熟ですけど精一杯にお手伝いします。よろしくお願いします」
「一緒に頑張ろう。出来ることを精一杯、やろうね」
フィーは母フュリーの死後、シグルドの遺児セリスが起ったことを知りました。家族と呼べる者が家からなくなり、遺された母の品だけを持ってフィーは飛び立ちました。母のペガサスの仔、マーニャに跨って。
雪の国で護るべきものはなくなりました。シレジアの王女として民の安寧を計るために残る、という選択は出来ませんでした。無力だからです。シレジアを思うのならば、思う資格があるのならば、闘うことを選択しないわけにはいかない。せめて兄を探し、国へ戻さねばならない。
行かなくっちゃ、とフィーのすべてが叫びます。だから槍を握り、軽甲冑を身につけ、ペガサスに跨る。戦場へと向かったのでした。
「俺も頑張りますよ」
「ありがとう、アーサー。今の軍には魔法を使えるものが少ないから、とても助かる」
雪が残るシレジアを飛んでいたとき、跳んできた「雷」がありました。
敵襲かと身構え、下方を観察するとそこには外套を着込んだ男がいました。すなわちそれがこの男、アーサーでした。ねえ、乗せてくんない、と脅しに似たことを笑顔で言うのです。一方的に話す理由によると、なんでも、生き別れの妹に会うためにマンスターまで行きたいとのこと。そのあまりの距離感に、この男は地図を見たこともないのかしらと大いにフィーは困惑したものです。
フィーより幾つか年上のアーサーは、結局、フィーのペガサスに乗り込みここまで来たのでした。
イザーク王国解放戦線の最前線まで。
「陣営を案内するよ。おいで」
世界を覆う闇に対して立ち上がった、光の皇子、セリス。彼は盟主と呼ばれ、解放軍と自称するものを統率していました。優しげな少年にしか見えないことに、フィーはとても驚いたものです。
セリスはフィーとアーサーとを伴い、自ら案内をしました。フィーは解っていませんでしたが、それは特段の配慮でありました。そしてそれがフィーがシレジア王女であるからという理由があることも。セリスとセリス付きの騎士、先程の騎士オイフェが自然にそう振舞って見せたのです。
陣営散歩で、フィーは母の書付にあったひとを見つけました。
「ドズル公子レックス様とイザーク王女アイラ様の子、スカサハ様とラクチェ様」。
「ヴェルダン王子ジャムカ様とユングウィ公女エーディン様の子、レスター様とラナ様」。
「ノディオン王女ラケシス様の子、デルムッド様」。彼の父親については書付はありませんでした。母の知らぬ人だったのでしょうか、それとも理由が有るのか、フィーはそれを尋ねなかったので知ることはありません。
ドズル公子のヨハン、ヨハルヴァの兄弟。彼らは父と国を見限り、解放軍に身をゆだねたひとでした。
「似た年頃のだからきっと仲良くできるよ」
セリスはにっこりと笑ってみせました。
セリスが去った後、アーサーと居心地がなんとなく悪いと思いながら歩いていました。フィーも、アーサーも、何も喋ることはありませんでした。時々、珍しいものがあるねというくらいです。
「そっか」
「あ?」
「アーサー、雷、使ってたもんね。その髪だし」
フィーが突然口にしたことに、アーサーが反応を返しました。
そういえば、お互いについて何も知らないのです。
「生まれも育ちもシレジアだよ、俺」
「あ、お父様かお母様か、どちらかが?」
「お袋」
「へーえ…。魔法はお母様に教えてもらったの?」
「いーや、親父」
「お父様は、魔法使いだったの?」
「そう。お前ンとこは?」
「うちも父様が魔法使い。母様はペガサスナイトだったけれど」
「あれは母譲りなのか。はぁ、お互い遺産で食いつないでんなあ」
遺産、という言葉がずきりとフィーの胸を突き刺しました。
母が生前使っていたもの、母が残したもの、そういうものを総称すれば確かに遺産になるということ。遺産という言葉は、なんだか切ない響きをしていて、母は間違いなく死んだのだという現実をつきつけるようなものでした。
「アーサーは、お父様から何か譲り受けた?」
フィーのこの問いに、アーサーは頷きました。
「エルファイアーとファイアー。マジックリングも貰った」
「え? 炎? 雷じゃあないの?」
「親父は炎使い。お袋が雷使い」
「すっごーい! あと風が揃えば万能じゃない!」
「腕が伴えばな」
苦く笑ったアーサーは、家族のことを語りました。優しげな面立ちの父親は、魔法に関しては厳しい人だったこと。並みの術士では到底不可能なことも、父はやってのけたということ。厳しく、争いごとを厭う人であったけれども、正義がなされないことにひどく憤慨していたという事実。
親父のようになりたいね、とアーサーは照れもなく言いました。
「尊敬してるんだ」
「まあな」
「いいね、そういうの」
「そうかあ?」
アーサーは何気なしに返事をしました。
アーサーとフィーは、何でも話をしている仲というわけではありません。出会ったばかり、ただ他のものより馴染みが有るというだけです。それが何某かの温かみと安心感を感じさせるというだけで、相手の何を知っているというわけではないのです。
フィーの顔が、うっすらと曇りました。
「……形は、な」
その憂いを察し、アーサーは話を切り上げました。
どこの家庭も自分と同じはずはないことを、アーサーは知っていました。むしろ、自分の家庭こそ異常なくらいだと知っていたのです。当然、口に出すようなことはしませんでしたが。
「イザークを抜けられたら、次は砂漠だってよ。雪国育ちには辛いねぇ」
軽い調子でアーサーは声をかけました。シリアスな雰囲気は自分には似合わないのです。ぽんっとフィーの肩を馴れ馴れしくならないように、叩きました。
「……うん。そうだね」
この何も知り合っていない、だけど他人ばかりの集団の中では一等馴染み深いアーサー、彼の優しさにフィーはほっと息を吐きました。
(やさしいひとは、すき)
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